Recherche

NEWS

宮西純氏 Interview

台湾国家交響楽団の活動を経て、2023年5月より神奈川フィルハーモニー管弦楽団の団員として活動しているテューバ奏者、宮西純氏(以下敬称略)にお話を伺いました。(取材:今泉晃一)
 

普門館で全国大会を聴いて、「こんな世界もあるんだなあ!」と吹奏楽部に

 
  テューバのオーディションは大変機会が少なくて有名ですが、このたびは神奈川フィルハーモニー管弦楽団へのご入団おめでとうございます。
宮西 ありがとうございます。前任者の岩渕泰助さんは42年5カ月間勤め上げられました。おそらく日本のテューバ史上、最長の在任期間です。つまり、神奈川フィルのテューバのオーディションは42年5カ月以上なかったんです。あらためて大変な世界だと感じました。
 
  そもそもテューバを始めたきっかけは?
宮西 中学で最初は剣道部に入っていて、1年生の終わりから吹奏楽部に入りました。母が自宅で塾をやっていて、吹奏楽部員がうちに通っていたのですが、僕が中1のときにその吹奏楽部がコンクールで全国大会に出て、母が普門館に応援に行くことになりました。母と2人で全国大会を見に行き、「こんな世界があるんだなあ!」「同じ年の友だちがこんな大きなホールで演奏しているなんて」と思って、帰り道に「剣道部やめて吹奏楽部に入ろうかな」と母に言ったことを覚えています。ただ剣道部をなかなかやめさせてもらえなくて、やっと吹奏楽部に入れたのが3月くらいでした。
 顧問の先生は、東京音大を卒業したトランペット専攻の方で、トランペットをまず持たせてくれたけれど、男子生徒が僕一人だったので、結局テューバ担当になりました。テューバ奏者あるあるですね。(笑)
 
  そこからハマっていったということですね。
宮西 いわゆる強豪校だったので、部活も厳しかったんです。先輩も上手でしたし、僕の直後に入った後輩もみんな上手だったので、「これは頑張らなければいけない」と思って、半年後くらいにはレッスンに通い始めました。
 当時隣の町に、まだ学生だった大塚哲也先生がいて、部のテューバパートのレッスンをしてくださっていましたので、顧問の先生に相談して、大塚先生に習うことになりました。
 
  高校はどのようなところに?
宮西 中学の頃からうすうす「プロになりたいな」と思っていたので、自分のレッスンも続けられるように、千葉県にたくさんある吹奏楽の強豪校ではなく、千葉敬愛高校というところを選びました。3年生のときは部長を務めるなど、自分の練習もしながら、部活も頑張っていました。コンクールでは千葉県の代表にもなりましたね。
 
  そうして、東京音大に進むわけですね。
宮西 高校の先輩にも東京音大のテューバの方が2人いて部の指導に来てくださっていたので、なんとなく縁を感じていました講習会に参加して師匠である田中真輔先生のレッスンも受けていたので、「この学校で勉強できたらいいな」と感じていました。
 大学ではそのまま田中先生についたのですが、ユーフォニアムの山本孝先生にも隔週くらいでレッスンを受けたりしていました。当時は学校もすごく大らかで、池袋という立地がよかったのか杉山(康人)さんや荻野(晋)さんなど在京のオーケストラプレーヤーの方が練習しに来られていたんです。その音を間近で聴くことができたし、杉山さんなどは一緒にアーバンの教本を練習してくれたこともありました。恵まれた環境だったなと思いますね。
 
宮西純氏
 

「オーケストラをやりたい」気持ちが強くなって、PMFをきっかけに台湾へ

 
  大学時代に思い出に残っていることはどんなことでしょうか。
宮西 1年生のときに、パリ管弦楽団のステファン・ラベリ先生にレッスンを受ける機会があって、それが自分の中でターニングポイントになったと思っています。まさに理想のテューバ像であり、演奏のスタイルとか音色を含めて、強く衝撃を受けました。いまだにそれを追い求めているところはあります。
 ステファン先生は歌い方だったり音色感だったりが「フレンチスタイル」のようなジャンルにとらわれない独自の魅力を持っているんです。「テューバでこんなことができるのか!」と驚いたことを今でも覚えています。
 
  特にどんなところが素晴らしかったのですか。
宮西 まず音色ですね。下から上まで、どんな細かいパッセージでも常に美しくて歌があるんです。それまでもCDなどで上手な演奏はたくさん聴いていたのですが、「現実にできる人がいるんだ!」と驚きましたね。翌年も来日されたときにはレッスンを受けに行きました。
 それからずっとステファン先生の音を頭に描きながらやっているわけですが、台湾国家交響楽団に入った後、2014年に文化庁在外研修生としてフランスに行き、ようやくステファン先生に習うことになります。
 
  大学を卒業してからはしばらくフリーランスとして活動されていたわけですね。
宮西 はい。2009年にはPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)のオーディションに合格することができて、参加することでぐっと視野が広がったように感じました。しかもそこで知り合った台湾の友人から台湾国家交響楽団でテューバ奏者の募集があるということを教えてもらったんです。台湾に受けに行ったら運よく合格して、2010年に入団しました。
 
  やはりオーケストラに入りたいという気持ちは強かったですか。
宮西 うーん、そうですね。学生の頃は試験やコンクールなどソロで吹くことが多く、卒業してから少しずつエキストラなどに呼んでいただいてオーケストラの仕事が増えていきました。でも、自分の中でオーケストラに対する思いが追い付いていなかったというのが正直なところです。でも徐々に「オーケストラをやりたい」という気持ちが強くなって、PMFを受けたのも「もっと(オーケストラを)勉強したい」と思ったからでした。
 それまでもオーケストラのオーディションを受けてはいたのですが、義務感のようなものが強かったと思います。結局、自らやりたいと思うようになってから、結果も出始めたということですね。
 この感覚は大事だなと思っていて、学生さんなどを教えるときにも、「義務的にやってるのか、自分の意思でやっているのか」をまず問うようにしています。真面目な子ほど「やらなければならない」と思ってしまいがちなんですね。始めたころは上手に吹けなくても楽しいから練習を続けてきたはずが、年齢とともに少しずつその楽しさが減っていって、人によっては楽器を続けられなくなってしまう。そこが悲しいところです。自分の場合は、テューバを続けて行くごとにどんどん好きになっていったのがラッキーだったなと思っています。
 
  台湾国家交響楽団に受かったのも、「オーケストラをやりたい」気持ちが強くなっていたからだったのでしょうね。
宮西 そう思います。何しろ、中国語がまるで分らない状態でオーディションに行ったので、結果発表で自分の名前が呼ばれたときに気づかなかったくらいですから(笑)。一緒に最終ラウンドに残った台湾の人が「おめでとう!」と言ってくれたので初めてわかりました。
 中国語は実際に仕事をするようになって、まず数字を覚えるところから始めました。個人レッスンをするときは、生徒にテューバを教えながら、中国語を教えてもらったようなものです。ただ、同僚はみな親切にしてくれたので、そこまで困ったこともありませんでした。英語を話す人も多かったですし、日本語を勉強している人は僕と日本語で話したがりましたね。
 
  どんな雰囲気だったのですか。
宮西 何にしても大らかでしたね。日本のオーケストラはリハ初日から上手いとよく言われますが、それに対して、台湾国家交響楽団は1公演に対して3~4日リハが組まれるという比較的余裕のある日程だったので、初日はみんな飛び出したり、数え間違いなども結構ありました。僕にしても、ほとんどが初めての曲だったので、時間をかけて曲に触れることができたのはラッキーだったと思います。とは言え、やはり毎週毎週初めての曲をやるわけですから、最初のうちはひたすら譜読みして聴いて、を繰り返す毎日でした。
 
宮西純氏
 

フランスに留学し、パリ管でステファン・ラベリ先生と共演!

 
 
  その後フランスに留学したわけですね。
宮西 日本管打楽器コンクールとITEC国際ソロコンペティションで1位を取って、「もっと勉強したい」と思いました。そこでオーケストラの長期休暇を使って、文化庁の在外研修生という形で1年間フランスに行き、念願のステファン・ラベリ先生に習うことができました。しかも幸運なことに、先生とパリ管弦楽団で共演することもできたんです。ある日レッスンが終わって先生とご飯を食べていたら「〇月〇日に《幻想交響曲》やるからね」と言われて・・・。お客さんで聴きに行くことを楽しみにしていたのに、急に演奏することになったんです。「習うより慣れろ」と言いますが、確かにステージで演奏しなければ気付かないことが沢山あり、それが何よりも最高のレッスンになりました。
 
  パリ管で演奏する機会って本当に貴重ですよね。どんなことをお感じになったんですか?
宮西 もちろん先生の音は普段のレッスンで聴いているし、パリ管も毎日リハーサルから聴いていました。でも一緒にステージに乗れたことで、客席で聴く先生の音と、ステージ上で聴く先生の音が全然違うということがわかったのです。「客席で聴く音を再現しようとしても、絶対に先生の音には近づけない」ということに気づき、衝撃を受けました。
 ラベリ先生の音はものすごく柔らかくて美しいというイメージが強いと思いますが、実際にステージ上で聴くと本当にクリアで、音の立ち上がりが非常に早いんです。しかも音が割れてしまうくらいに鋭い音でも、絶対に乱れないんです。
 実はレッスンでも、「まず音のクリアさを意識するように」と言われていたのですが、出てくる音が美しすぎて実感できないんです。タンギングもしているかしていないかわからないくらい。「発音」があるのではなく、ただ「音」があるだけ。それを形だけ真似しようとしても、不明瞭になるだけなんですね。
 それまでオーケストラの首席奏者になって、コンクールで1位を取っても、「こんなこともわかっていなかったのか」ということが本当に衝撃でした。この体験以来、自分でも美しさとクリアさの共存ということをいつも意識するようになったのですが、以前との感覚とのずれを調整するのに数年かかりました。
 
   CD『エヴィデンス』を出されたのもその頃ですね。原曲がフルートの曲からコントラバスの曲までありますが、フルートの曲であってもまったく違和感なく聴けるところがすごいと思います。
宮西 そう言っていただけると頑張った甲斐があります(笑)。テューバという楽器を抜きにして、単純に自分が好きな曲を並べたらああなってしまい、「音楽よりも先にテューバが聴こえないように」ということを意識して演奏しました。よい音楽をテューバを通して演奏したらこうなるというように、純粋に音楽が聴き手に届くことを心がけながら演奏したつもりです。
 
  気持ちがあったとしても、そう聴かせるテクニックが必要になりますよね。
宮西 一番難しいテクニックって、速いパッセージを吹くとか、ハイトーンとか重音でもなくて、「美しい音と正しい音程で当たり前のように吹く」ことではないかと思うんです。だから、難しいフレーズがあってもそこで「当たり前」が崩れないように練習しました。難しいものを難しく聴かせるのは簡単ですが、そこを見せないようにしてよい音楽だけを届けられることが一番大事だと思っています。
 
  現在、潮見裕章さんとのMIYANISHIOMIというデュオがYouTubeにたくさん上がっていて、どれもとても面白かったです。
宮西 これは現在進行形で続いています。それとは別に、潮見さんのチャンネルで毎週土曜日にトーク番組もやっています。そちらは完全にお話のみです。もう4年も続いています。なお、MIYANISHIOMIではCDの録音も済んでいるので、近いうちに発売になると思います。
 
  楽しみにしています。
 
宮西純氏
 

大塚先生から譲り受けたB&Sの3099を、ラベリ先生と同じサテン仕上げに

 
 
  お使いの楽器について教えてください。
宮西 まずC管は、〈メルトン・マイネル・ウェストン〉の”6450 BAER1“です。僕のスーパーヒーローの1人に元ニューヨーク・フィルのワーレン・デック先生がいるのですが、幸い4年前に先生のデンバーのご自宅でレッスンを受けることができました。もともと大塚先生の影響もあってデックさんの吹くニューヨーク・フィルのCDも聴きまくっていたし、ステファン(ラベリ)先生も”2000″を使っているので、自分の中では「C管といえばマイネルの音」なんです。もう1本ヨーク・タイプの楽器を持っていて、曲によって使い分けています。
 
  F管は?
宮西 〈B&S〉の”3099“です。これは大塚先生のおさがりなのですが、なぜサテン仕上げになったかというと、台湾から一時帰国の際に、飛行機で壊れてしまったんです。この”3099″は古いモデルでハンドメイドの時代のものであり、もう手に入らないものなので、買い替えるのではなく、修理して使い続けることに決めました。
 ドイツのフライブルクに、もともとマイネルで働いていたマイスターがいて、そのかたのところで修理とカスタマイズ、塗装をしてもらいました。サテン仕上げにしてもらった理由は、ミーハーなんですけれどステファン(ラベリ)先生がサテン仕上げの楽器を使っていたからです。僕もそれを真似しただけで、音色的な何かが理由ではありません(笑)。機会があったら先生と同じ色にするということは以前から決めていましたからね。
 
  この楽器に惚れ込んだ理由はどこにあるのですか。
宮西 やはり音ですね。僕のもそうですが、昔の楽器はバルブが今のものほど大きくないんですよ。息の抜けや低音域のコントロールなどは新しい楽器ほどではないかもしれないのですが、音の色が変えやすかったりとか、曲のスタイルの変化を付けやすかったりします。自分の思い通りに味付けをしやすく、カラフルに演奏できるところが一番気に入っています。
 
  〈B&S〉の新しい楽器を試すことはありませんか。
宮西 実は”MRP-F“も持っているんですよ。ピストンだし、大きめのバルブで抜けのいい楽器なので、”3099″と使い分けています。曲のスタイルによることもありますが、気分を変えたいときに楽器を替えて新鮮な気持ちで演奏するということも大切です。
 
  それにしても、テューバは大きい楽器なのに、何台もそろえている人が多いですよね。
宮西 子どもの頃にプラモデルを飾ってながめるような感覚なのかな。管の入り組んだ感じとか、すごく格好いいじゃないですか(笑)。あと、持ち運びも大変な分、思い入れも強いのかもしれませんね。ビュッフェ・クランポン・ジャパンのテクニカルアドバイザーのかたといろいろ話してカスタマイズするのも、楽しいことの一つです。
 
  ありがとうございました。
 
 
※ 宮西純氏が使用している楽器の紹介ページは以下をご覧ください。
〈メルトン・マイネル・ウェストン〉Cテューバ”6450 BAER1
〈B&S〉Fテューバ”3099
〈B&S〉Fテューバ”MRP-F

Retour en Haut
Your product has been added to the Shopping Cart Go to cart Continue shopping